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HAYAMA 1952-1953 
チャールズ ユンカーマン 写真展

もしもスペース

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彼らは葉山に一目惚れした。すべてが新しく、珍しく、わくわくさせてくれた。️

米国による日本占領が終わった1952年5月、朝鮮戦争の最中の横須賀海軍基地病院に医師としてチャールズ ユンカーマンCharles Junkermanは勤務した。️
その年の11月、夫人が長女、長男、次男(ジャン)とともに家族でサンフランシスコより来日後、一家は葉山町一色に一軒家を借り一年間を暮らしたが、当時アメリカの報道写真家の間で評判になっていた初期のニコン製のカメラをチャールズが購入してスライド写真を撮り始めていた。️

フィルムはコダック社製の「コダクローム」。ASA10という感度の低いフィルムに残る映像からは、28歳で初めて外国暮らしを経験するチャールズとその家族にとっては目に見えるものすべてが新鮮だったことが想像できる。そこには葉山の海岸で網を繕う漁師、桶作りや路上で畳を張り替える職人、田植えや稲刈りの風景、異国の地で遊ぶ自分の子どもたちなど、終戦直後の静かで美しい日本の生活と暮らしがあった。️
帰国後も度々1952〜53年当時のスライドを上映していた一家には、日本の思い出話が共通の話題となっていた。2012年の夏、88歳となったチャールズとともにスライド会を行い往時の話をするうちに幾つかの驚きがあった。それは60年を経てもスライドの鮮明なカラーが色褪せていないことと、そこに登場する人々の場面が家族の記憶にはっきり残っていたことだった。️
「ニコンのカメラを手にした日からものの見方が変わった」と言うチャールズ、高校時代に留学生として再来日を果たして以来「なぜ日本に?」と聞かれるたびに昔のスライドの話をしてきたという次男ジャン。その後ドキュメンタリー映画作家として名を馳せることとなったジャン ユンカーマンの原点もこの葉山での1年間を写したスライドの映像にあるのかもしれない。️

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2009年コダック社はコダクロームの製造を打ち切った。映像の歴史の中でひとつの時代が終わったのでしょう。しかしながら1952年からの1年間の葉山とその周辺地域、逗子・鎌倉・横須賀・三崎の当時の生き生きとした映像が鮮明なカラー写真として残っていることへの大きな驚きと、平和を取り戻した日本の素朴で穏やかな暮らしを慈しんだ米国の一家族の思いがそのスライド映像から今に甦ってきます。 チャールズ ユンカーマンが撮影した今に残る約400枚のスライド写真より厳選した270枚余をフルカラー図版による写真集として2021年12月に用美社が出版しました。今回の「チャールズ ユンカーマン写真展 HAYAMA1952-1953」では、写真集に収録した20点余の作品を展示します。葉山を深く愛した一家とその懐かしい写真とともに、葉山とその周辺の昔日の暮らしが甦るひとときをおたのしみください。